有識者懇談会の山中伸弥京都大学教授は、官邸から出る際、記者団に対し、中国古典からの出典を含めて複数案があったことを明らかにした。
「令和は、初めて日本の古典から選ばれた。伝統を重んじると同時に新しいものにチャレンジしていく日本のこれからの姿にぴったり」
有識者懇談会の林真理子氏「令和は、一番人気があった。美しい。これで万葉集ブームが起こるのではないか」と官邸で記者団に語る。
有識者懇談会の宮崎緑氏が記者団に「この案(令和)が一番良いと思った」。「令和」発表の瞬間は有識者から拍手が起こったという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000044-mai-pol (毎日新聞より)
令和 有識者「初めて日本の古典から選んだ」→中国のパクリだったw
「令月」は漢籍にこのような典故があります。今回の万葉集の梅の歌は、後漢の詩人張衡の「田に帰る賦」にある「仲春令月、時和し気清し(仲春のよき月に、時は調和し気は清らかに澄んでいる)」に近いよう。 pic.twitter.com/JDMidS5lzN
— Noriko Ikehira (@chipingjizi) April 1, 2019
万葉集(8世紀)の梅花の句「初春令月、氣淑風和」
中国の張衡(78-139)帰田賦の句「於是仲春令月 時和気清」
万葉集 梅花32首 序文
初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ(やはらぎ)、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。 ー作者:山上憶良(やまのうへのおくら)
「令月風和(れいげつふうわ)」=立派な月で風がおだやか
帰田賦(田園に帰ろう)張衡 87-139
(原文)於是仲春令月 時和気清 原隰鬱茂 百草滋栄
(解説)おりしも今は 春も半ばのめでたい月よ。時節はなごやか 大気は澄んで 丘も湿地も鬱そうと 百草(いろいろな草)は繁り花咲く。
「令月時和(れいげつじわ)」=立派な月で季節がなごやか
令和の出典について。78年-139年の張衡の文(「帰田賦」内)は当然万葉集より先で出典と言われても納得できる。(これ見つけた方仕事速い!) しかも張衡は『また、天文・暦算に通じ、渾天儀・候風地動儀(一種の地震計)を作り、円周率の近似値を算出[広辞苑 第七版]」』とのこと。おお。 https://t.co/TOibXDbudk
— YOSHINO Taro (@tytyty) April 1, 2019
そうでしたか。万葉集の注釈に言及があるということは、考案した方は分かっていたのでしょうね。
— YOSHINO Taro (@tytyty) April 1, 2019
万葉集の注釈に、張衡「帰田賦」から引用したと書いてあったという。考案者は分かっていて、令和を提案したのか。
万葉集 梅花32首 序文
(原文)初春令月、氣淑風和
(現代読み)初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ(やはらぎ)、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。
(現代語訳)初春のめでたい月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。
(説明)初春にめでたい月に、梅の花を愛でる宴会があった。当時、梅は中国大陸からもたらされた外来種で、非常にめずらしい植物だった。序文では、そんな外来種の梅を愛でる宴会での華やかな要素を記し、人々の和やかな様子を伝えている。
帰田賦(田園に帰ろう)張衡 87-139
張衡(78~139)『帰田賦』の「仲春令月、時和気清」を挙げず、これを参照して作ったであろう8世紀の『万葉集』の「初春令月、気淑風和」だけを典拠として挙げたのは、官邸が中国の古典を出典から外したかったんだろうな。 pic.twitter.com/7u2JATOykc
— 青い惑星の愚か者 (@planet_tm) April 1, 2019
(原文)於是仲春令月 時和気清 原隰鬱茂 百草滋栄
(和訳)是に於いて 仲春の令月 時は和し気は清むすむ 原隰げんしゅうし鬱茂し 百草 滋栄す
(解説)おりしも今は 春も半ばのめでたい月よ。季節はなごやか 大気は澄んで 岡も湿地も鬱そうと 百草は繁り花さく。
令和の令は、命令の令
1864年、「令徳」という元号になりかけた事がある。
「令徳」は「徳川に命令する」という意味で付けようとしたが、幕府の必死の抵抗で「元治」になった 。(当時は幕末で、江戸幕府と朝廷が対立していた。)
「令」の字の元号はいわく付きで、メッセージ性が非常に強い。
「レ点」を付けて読めば、「徳川に命令する」となり、これからは朝廷が幕府よりも上位の世の中となる、 ということを露骨に世間に宣言している。(和[日本人]に命令する)
1864年に改元を行うとき、 朝廷では「令徳」と「元治」が候補に挙がり、「令徳」が第1候補だとして、関白から幕府に相談があった。
徳川幕府の老中らは、「徳川に命令する」という意味に解釈されると難色を示したが、老中からの申し立てはできかねると、松平慶永に関白らへのあっせんを求め、第2候補の「元治」に決定したのだ。
江戸幕府が相当苦慮していたことがうかがえる。江戸幕府にしてみれば、「元治」もメッセージ性を含んではいるが、「令徳」だけは避けたかったのである。
令和
x命令をもって和となす
○礼をもって和となす
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【編集後記】
素人がちょっと調べただけで、「令月風和」には元ネタがあると分かるのに、誰も調べようとしなかったのか。
もともと日本の元号は、中国の儒教書「五経」から引用されたものが多いと聞くが、今回の「令和」は、
「令和は、初めて日本の古典から選ばれた。伝統を重んじると同時に新しいものにチャレンジしていく日本のこれからの姿にぴったり」と、官邸に近い有識者たちがこんな事を言ってるわけで、日本の古典から選んだと彼らは自信満々にのたまう。
幕末崩壊寸前の江戸幕府は、「令徳」を拒否した。
150年後の私達は、「令和」を受け入れていいのだろうか。
(c)令和