2019年1/7深夜に放送されたアニメ版「どろろ」を見た。感想は・・・
この第1話では、なんとも評価し難いというものだった。
しかし、これでは原作ファンの支持は得られないだろう。手塚治虫原作のマンガ版を改変しまくっているからだ。
どろろ アニメ版を見た感想
前振りが長すぎる
アニメの冒頭(百鬼丸が生まれる)シーンが長すぎる(13分)。そこからさらにどろろのイメージに合っていない変ちくリンな歌(OP)が2分ほど流れる。アニメ1話残り半分きったところで、ようやく主人公の「どろろ」が登場。
手塚治虫原作を改変する勇気は認めるが、百鬼丸が生まれるシーンは、原作マンガ版や旧アニメ版では、そこまで尺を使っていなかった。彼らは主人公ではないからだ。
TVアニメは30分もない。OPとEDとCMを外した本編映像は、18~20分程度しかない。その中で、1話で話を成立させて、さらに次回に伏線をはる必要がある。それを考えると、百鬼丸が生まれるシーンにそこまで尺(時間)を使えるだろうか。
改変が多すぎる
どろろには、1967年の手塚治虫原作のマンガ版と、1969年に放送された旧アニメ版、2019年に放送された新アニメ版がある。
旧アニメ版が原作マンガ版をていねいに映像化していたのに対して、2019年の新アニメ版は、原作マンガ版とは別作品のような話になっている。
最初からして原作とはちがう。
原作だと和尚は、醍醐景光をただ案内しただけであり、お堂の中にいて意味不明な語りなどしない。そしてその場でころすのも改変している。
このシーンも違う。
産婆などいなかったし、よしんば産婆はいたとしても特に問題はない。その後、産婆が無言で赤ん坊を連れ去ったのが、意味不明。
原作マンガ版では、醍醐景光が生まれたばかりの赤ん坊を"自らの野心のために"犠牲にして、川に流す。川に流した時、醍醐景光と妻が2人で流していた。
このシーンは伏線であり、自分のした罪を醍醐景光と妻は背負っていく事になる。ここを改変しては、話にならないと思うのだけど・・・。
産婆が川に流したでは、罪の意識が薄れてしまう。百鬼丸と醍醐景光、妻の因縁が浅くなってしまう。
新アニメ版では、醍醐景光を何かあまり悪くない男のように演出しているが、それだと今後の展開が矛盾するのでは?
琵琶法師と樹海を序盤で出す必要あったのか
百鬼丸を川に流す時、琵琶法師がなぜか登場して、座頭市のようなアクションシーンを披露する。
これは明らかにいらなかった。
百鬼丸を川に流すシーンは、醍醐景光と妻が我が子を捨てるシーンなわけで、琵琶法師の見せ場ではない。
さらに言うなら、このシーンで琵琶法師を登場させて、視聴者を混乱させる必要はない。
原作の琵琶法師は、もっと重要な役がある。それは旅立ったばかりの"百鬼丸を導く"という大役だ。道中ですれちがって会話して、百鬼丸も見えていない、琵琶法師も見えていない、そこに意外性があり、読者は琵琶法師に引き込まれる。
冒頭で盲目で凄腕の剣士だと分かってしまうと、それはネタバレであり、この後の見せ場が面白くなくなってしまう。
どろろは男の子として描くべき。ろこつに女の子として描くのは原作どおりではない
主人公のどろろは、原作や旧アニメ版だと、男の子として登場していた。実は・・・作品中で百鬼丸らがどろろは・・・と言うので、考察してみると実は・・・だった。というのなら原作通りで分かるのだが、
新アニメ版では、ろこつにまつ毛が長く、少女のようなパンツをはいており、完全に女の子として描かれている。
どろろは主人公なので、主人公を女性として描くか、男性として描くかで、作品内容が大きく変わってくる。
個人的にはアリだが、よくこれで手塚治虫プロダクションがOK出したなと。
少女どろろ萌えアニメとして成立させるつもりなら、アリかもしれない。
原作者:手塚治虫氏の意図を汲んでいない
どろろは映像化するには難しい作品(グロ、ポリコレ問題)で、1969年に放送された旧アニメ版でも、杉井ギサブロー監督が原作に忠実に硬派(ハード)な世界観で大人向けにアニメ化して視聴率が低迷し、原作マンガ版の手塚治虫氏ともめた。
手塚治虫「どろろアニメ版をなんとかギャグアニメにできないか(子供向けにしたい)」
杉井ギサブロー監督「僕なりに原作ならこうなるだろうと想定して作ってきた。いまさらギャグアニメにはできない」
手塚「じゃあ百鬼丸の最後はどうなるんですか?」
杉井「自分の体を取り戻した時、生きる目的を失う。だから坊主になって放浪する」
手塚「そんな難しい話、子供が見ますか」
この後、杉井監督は自ら監督をやめてしまう。以降、旧アニメ版の14話からは監督が変わってタイトルも「どろろと百鬼丸」に変更された。
このエピソードは、どちらが正しいという話ではない。ユーザー目線、漫画を読む子供が楽しめるコンテンツを作りたい手塚治虫氏と、どろろを本格時代劇のように本気で原作通りにアニメ化した杉井ギサブロー氏、どちらもすばらしいクリエイターであり、彼らが本気だったから衝突したのだ。
じゃあ2019アニメ版の古橋一浩監督は、いったい「どろろ」をどういう作品にしたいのか。
原作をなぞるつもりがないのはよく分かった。確かに原作どおりなぞっても、1969年の旧アニメ版を超えるのは不可能だろう。
じゃあ新規ファンを獲得するために、子供向けに作っているかというと、それにしては人がしにすぎており、暗いストーリーで一般受けはしない。
じゃあこれなんなの?って話になる。
手塚治虫氏の意図を汲むなら、より明るい作品にすべきだし、原作通りにやりたいなら、原作を改変するのはおかしいわけで、どっちつかずの作品になっている。
商品にはユーザーがおり、ターゲット層を明確にしないと商売にはならない。
この2019年アニメ版「どろろ」は、どの層をターゲットにしているのか、いまいちよく分からない。10代男性向け?20代男性向け?
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